勝山勝田神社は神功皇后出兵に関わる神社!勝ち運のご利益やアクセスについて

北九州市八幡東区には神功皇后にまつわる様々な伝説が残されています。

勝山勝田神社もそんな伝説が残る土地に鎮座する神社の1つです。

神功皇后出兵に関する伝説があります。

この記事ではそんな勝山勝田神社のご利益や神功皇后にまつわる伝説、アクセス方法についてご紹介します。

参拝の参考にどうぞ。

勝山勝田神社の歴史

勝山勝田神社(かつやまかつたじんじゃ)は北九州市八幡東区勝山に鎮座する神社です。

お祀りするのは大山津見神・武御雷神(たけみかづち)・賦都主神(ふつぬし)です。

また境内には大倉主神社、疫神社、貴船神社、大日神社、恵比須神社などの境内社が建ち並んでおりたくさんの神々をお祀りしています。

記録によれば1779年に社殿創建とありますが、それ以前より周辺の住民から信仰されており、お社のようなものもあったことが分かっています。

創建のはっきりとした年数は分かっていませんが、社伝とおりに神功皇后の時代から勝山勝田神社が鎮座していたとすると、約1700年ほどの歴史がある神社と言えます。

勝山勝田神社と神功皇后の伝説とは

かつて神功皇后は三韓征伐に出兵する際、洞海湾で船団を編成しました。

材料の一部を調達するために、大蔵の山に入り竹を切りました。この竹を加工し、公国軍の御旗竿としたのです。

無事に三韓征伐に成功してこの地へと帰還した神功皇后は、竹を採取したこの山を「勝山」(かつやま)と命名しました。

そして自らこの地に感謝のためのお社を創建し、それが勝山勝田神社のはじまりとなりました。

当時、様々な技術は専門職の集団(血族)によって守られ一族総出で支配者に仕える形を取っていました。

竹の加工もそんな技術の1つです。

神功皇后をはじめ歴代の天皇につき従ったという伝説の忠臣・竹内宿禰もその氏に含まれる漢字に象徴されるように「竹」の加工などの技術を持った一族とも考えられています。

そのため勝山から竹をとったという伝承は様々な可能性を示唆しているのです。

また勝山勝田神社の向かい側に見える乳山には、神功皇后が皇子(のちの応神天皇)に授乳したという伝説が残っています。

このように北九州市八幡東区には、神功皇后にまつわる伝説が数多く残されています。

神功皇后にまつわる伝説は、当時の日本国内の権力者と朝鮮半島の国家が緊張状態にあったことや、交戦があったことを知るてがかりとなっています。

ただしまだ不明な部分も多く、多くの人がその謎を解き明かそうと魅せられているのです。

勝山勝田神社は勝ち運のご利益を頂けるパワースポット

勝山勝田神社は創建にまつわる伝承からも分かるように、勝ち運祈願にご利益を授かることができるパワースポットです。

武運、海運の神さまとして古来より信仰を集めてきました。

神功皇后の命名と伝わる「勝山」の地名は縁起が良いと、歴代の福岡藩主からも厚い崇拝を受けてきました。

そのため祭礼の際には特別に芝居興行などが認められ、大蔵谷の住民だけではなく、広い範囲に住む人々から信仰を集めてきました。

勝山勝田神社の御朱印

勝山勝田神社には御朱印がありません。

またオリジナルデザインの御朱印帳もありません。

アクセス方法

勝山勝田神社には参拝者専用の駐車場はありません。

北九州市立大蔵小学校の裏手にある山に鎮座する神社で、車で参拝する場合は周辺のコインパーキングを利用しましょう。

コインパーキングから勝山勝田神社までは歩くことになります。

公共交通機関を利用する場合、西鉄バスだと「大蔵小学校前」バス停下車、徒歩で約3分です。

JR九州鹿児島本線「枝光駅」下車、徒歩で約30分です。

「八幡駅」からだと徒歩で約35分です。

まとめ

勝山勝田神社についてご紹介しました。

かつて神功皇后が朝鮮半島まで出兵する際、皇国軍の御旗竿の材料を採取したといわれる勝山に鎮座する神社です。

神功皇后は見事に勝利をおさめて帰還したことから勝ち運のご利益を授かることができるパワースポットとして知られています。

周辺には他にも神功皇后の伝説にまつわる地があり、古代の王国に想いを馳せながらあちこち見て回りたいエリアです。

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